海軍報国号献納飛行機関係資料
かいぐんほうこくごうけんのうひこうきかんけいしりょう
概要
戦時中、民間(団体や個人)から集めたお金を軍に供出し、献納された軍用機のことを「献納機」という。昭和7年(1932)の陸軍「あいこく1号」から始まったが、同18年(1943)頃から、朝日新聞の献納運動キャンペーンなどもあり、瞬く間に全国的に広がった。陸軍は愛国号、海軍は報国号と呼ばれ、献納者などにちなむ名が命名式で付けられた。
高岡の地酒「日本晴」を造る荒野商店(現・日本晴酒造合資会社)は、嘉永年間(1848~53)に高岡百姓町(現・横田町)に創業した老舗である。昭和19年(1944)、7代目当主・荒野権四郎氏は大の愛国家で、自らの酒蔵を処分してまで飛行機を献納した。
その際の関係資料(4件5点)の内容は以下のとおりである。
HP「陸軍愛国号献納機調査報告」によると、現在のところ富山県からは愛国号が9機、報国号が12機の計21機の献納が確認できる(うち高岡市からは荒野氏の他、「高岡市民」から愛国号1機の計2機のみ)。
しかし、この「荒野日本晴号」の命名式の際、6団体6機の報国号が命名されたとの情報もあり、はっきりしない。このほかにも飛行機献納の事例があるものと思われる。
◆報国号飛行機命名式記念写真(袋付) 2点
(寸法:縦8.6cm×横13.6cm)
本資料は海軍に献納した飛行機の命名式の記念に海軍省が発行したもの。命名式の当日に参列者へ配られたものと思われる。
飛行機と戦艦が写っているが、よく見ると合成写真のように思われ、下に「報国第二八六六号(荒野日本晴号)【艦上爆撃機】 海 軍 省」とある。
これには、当時の物資不足がうかがい知れる、質の悪い紙で作られた袋が付属している。表には「昭和十九年/(旭日旗)報国号飛行機命名式記念写真/海軍省」と印刷されている。
袋の裏面左下には、「山端写真科学研究所」とあり、この写真はこの研究所が合成したものと思われる。この研究所は、従軍カメラマンの山端庸介(やまはた ようすけ,1917~66)と関係があるのであろうか。山端は被爆直後の長崎を訪れ、その様相を撮影した写真家として知られている。
◆飛行機献納申出書(控)1通
(寸法:縦23.8cm横35.6cm)
この資料は荒野権四郎氏が海軍に飛行機の献納を申し出た時の書類である。原本は提出されたと思われ、これはその控えである。
昭和19年(1944)2月付で、海軍大臣・嶋田繁太郎(しまだ しげたろう,1883~1976)に宛てられている。
文面は「一、艦上爆撃機 壱機/此ノ(この)代価金 拾万円也/右ノ通リ献納致度候(いたしたくそうろう)ニ付御採納相成度(あいなりたく)/候也」とある。権四郎氏の並々ならぬ愛国心が感じられます。
◆報国号飛行機命名式に関する依頼書 1通
(寸法:縦25.5cm×横18.0cm)
この公文書(金地人第9810号ノ82)は、昭和19年の4月8日付で、金沢地方海軍人事部長より権四郎氏に宛てられている。
それによると、命名式は海軍省主催で、同年同月27日13時30分より高岡市博労町国民学校(現高岡市立博労小学校)において開催することが決定したので、それを通達している(雨天の際は同校講堂において開催予定)。
さらに併せて、命名式に関わる「打合会」を、同15日に高岡市役所において行うのでその出席を依頼している。
◆献納飛行機命名式諸費割当金受領証 1通
(寸法:縦25.7cm×横19.0cm)
この資料は、とても薄い紙にガリ版で刷られている。同年の5月12日付で、荒野権四郎氏に宛てられている。差出人は書いてないが、印が捺されており、印文「富山県高岡市役所印」とある。
命名式の諸費割当金である85円87銭の受領証である。
※参考
・当館HP「学芸ノート(第6回)」
・当館機関紙「博物館だより」2006・12号の「収蔵資料紹介」
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