堀川
中間唐戸(水門)
吉田・大膳間切貫
ほりかわ
なかまからと(すいもん)
よしだ・だいぜんかんきりぬき
概要
堀川
中間唐戸(水門)
吉田・大膳間切貫
ほりかわ
なかまからと(すいもん)
よしだ・だいぜんかんきりぬき
福岡県
堀川は、江戸時代に掘削された約12kmにわたる運河である。黒田(くろだ)長政(ながまさ)により遠賀川の分水路を洞海湾まで流す計画が立てられ、元和7年(1621)に工事に着手したが、掘削困難な箇所があり、3年で工事は中止された。120余年後に再び開削計画が持ち上がり、宝暦(ほうれき)元~9年(1751~59)、最も難所である全長400mの吉田・大膳間切貫が開通し、宝暦12年(1762)に中間唐戸、文化(ぶんか)元年(1804)に寿命(じめ)唐戸が完成した。
江戸時代には、年貢米などを大坂へ廻漕するための水運機能のほか、灌漑用水路として周囲の耕地を潤した。また、明治時代には筑豊炭田から採掘した石炭の輸送路として、多くの川艜(ひらた)が通行していたが、明治24年(1891)に鉄道が直方-若松間で開通したことで水運機能は徐々に衰退した。
今回追加指定しようとする吉田・大膳間切貫は、宝暦元年から9年にかけて開削した切貫部分で、全長約456m、幅約6mに渡り、最大14mの高さの岩盤を削り出して造られている。周囲は砂岩質で掘削しやすい岩盤ではあるものの、堀川の中でも掘削の高さが最大であることから、最も工事が難航したとされている。これまでの調査成果により矢穴痕や工具痕が確認されており、複数の技法を用いながら石割と石材の切り出しを行い、上部から順次工事を進めたことが分かっている。また、壁面には文字が刻まれた箇所があり、「三尺五寸」などの法量に関する文字が見つかっている。
北九州市八幡西区大膳2丁目、遠賀郡水巻町吉田6000のうち一部、2086-1のうち一部
指定
指定年月日:19830319
福岡県北九州県土整備事務所(管理)
水巻町
記念物
文化庁 〒602-8959 京都府京都市上京区下長者町通新町西入藪之内町85番4
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