立入家文書
たてりけもんじょ
概要
立入家文書
たてりけもんじょ
京都
室町~昭和
696点
京都府京都市上京区寺町通荒神口下る松蔭町138-1
京都市歴史資料館で保管
京都市
京都市指定文化財(一部)
本文書は、室町時代後半から禁裏御倉職を務めた立入家に伝来した文書群である。
禁裏御倉職とは、南北朝時代から戦国時代にかけて朝廷の財産管理などを本務とした酒屋・土倉衆からなる金融業者から構成されていた。
立入家で最初に御倉職を命じられたのは、立入宗康(生年未詳-1516以降没)で、中でも、宗継は立入家で最も知られた人物である。家伝によれば、正親町天皇と織田信長の仲立ちをし、信長に上洛を促すなどの行動をとったとされる。江戸時代以降、御倉職は形骸化したため、立入家は勧修寺家に仕えながら、地下官人として伝奏肝煎役を務めるようになり、明治を迎えた。
文書群は、室町時代後半から昭和までの古文書・記録・典籍・器物などから構成されている。京都市指定文化財の対象となったのは、室町時代後半から明治時代前半までの立入家の動向を伝える古文書・古記録類である。
本文書における最古の史料は、永正8年(1511)6月14日付け「後柏原天皇女房奉書」である。また、本文書を代表するものとして、「元亀二年御借米之記」(1571)と「上下京御膳方御月賄米寄帳」(元亀3年〈1572〉)がある。両文書には、上京・下京それぞれ町組ごとに町名と月行事などの町衆の名前が記されている。上京・下京の町名や町組の構成がまとまって判明するかなり早い時期の文書であり、京都の都市や町の成り立ちを考える上で貴重と言える。
宗継の頃では、禁裏御料であった山国荘の支配を認めた「織田信長奉行衆連署状」(永禄12年〈1569〉)や岡崎55石の領地支配を認めた「豊臣秀吉朱印状」(天正13年〈1585〉)など、時の政権との関わりや特権を与えられている様子などがわかる文書も残っている。
宗継の次男・康善が勧修寺家の家司に収まったことから、その関連の文書も多く残る。
このほか、立入家に伝来した理由は不明ながら、室町幕府奉行人の松田家の文書「松田丹後守平長秀記」(室町前期)、「松田貞秀歌集」(室町前期)や、宗継が信長を上洛させる手助けをしたという逸話を載せる「道家祖看記」、慶長19年(1614)方広寺大仏の鐘鋳に関わる内容をもつ「三条釜座名護屋出羽書状」(慶長19年ヵ)なども注目すべきものである。
以上、本文書は、室町時代後半から、朝廷の財政と深く関わる禁裏御倉職としての立入家の活動の実態や特権の在り方を知れるとともに、朝廷と武家とのかかわりや、近世以後の地下官人の動向を伝える史料として、まとまって伝存しており極めて貴重である。
本文書群は、叢書京都の史料12『改訂版 禁裏御倉職立入家文書』として翻刻・刊行されている。
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