女坑夫
概要
1920年、富山県富山市に生まれる。
千田が筑豊との関わりを持ったのは、終戦後、仕事を求めてたどり着いた遠賀郡水巻町の日本炭鉱高松一坑であった。若くして洋画を志し、一時は中川一政門下ともなっていた千田は、労働の合間に細々と炭鉱風景を描いていたが、そこで、後に記録文学作家として知られることとなる上野英信と出会ったことが、生き方を大きく変えていく。労働者による機関誌の発行を持ちかけられたことで、ガリ版刷りの冊子に載せる挿絵を量産するために、木版画に着手したのである。
以後の約10年間、千田は炭鉱労働の一方で、上野との合作をはじめ、炭鉱に生きる人々の日常を彫り、刷り続けた。白と黒とによるモノクロームの表現は、炭鉱という特殊な世界の描写に適していたと言えるだろう。また、対象を簡略化した形態には、人々の生の感情が込められているかのようである。
炭鉱を離れた後は、画題も変わり、より穏やかな作風へと変わっていくが、後年再び筑豊へ舞い戻るなど、心は常に筑豊にあった。
97年に逝去。
(『多彩な美~田川市美術館の歩み~』田川市美術館、2010年)
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