絵葉書(高岡関係)
えはがき(たかおかかんけい)
概要
絵葉書(高岡関係)
えはがき(たかおかかんけい)
富山県高岡市
①大正2年(1913)9月13日以降
②大正10~昭和12年(1921~37)頃
紙・葉書・印刷
各 縦14.3cm×横9.1cm
2葉
富山県高岡市古城1-5
資料番号 1-05-203
高岡市立博物館蔵
①「越中 高岡公園(其四)」
高岡古城公園の写真絵葉書である。裏面に5輪の花と鳳凰が描かれた「高岡開市三百年記念会/大正二年九月十三日」印が押されている。高岡開市300年祭は当初明治42年(1909)を予定していたが、同年9月に皇太子(後の大正天皇)行啓が行われたため大正2年(1913)9月13日に延期していた。
7月14日付で使用済(エンタイヤ)。
②「高岡桜馬場」
高岡市の桜馬場公園を撮影した写真絵葉書。撮影方向は現在の桐木町交差点辺りから駅方向(南西)を見ていると思われる。「高岡桜馬場 SAKURABABA STREET TAKAOKA.〔KT.〕」と標記あり。
左側には「高岡商品陳列所」の看板が見える。高岡市商品陳列所(現富山銀行本店/高岡市下関町3-1)の前身は明治42年(1909)創設の高岡物産陳列所であり、大正10年(1921)に高岡市商品陳列所と改称されたのち昭和12年(1937)に高岡市商工奨励所と改称された。よってこの写真はその間に撮影されたことがわかる。表面の形式(1/3線/明治40~大正6年頃)は古いが、絵葉書用紙として古い物を使用したと考えられる。
未使用。
1-05-335 絵葉書「高岡桜馬場」に同一資料あり。
桜馬場公園
慶長15年(1610)に高岡城に付属して設置された馬術訓練場。付近はすべて侍屋敷で、藩士が引き揚げた後は市街地と畑地に変わり、馬場(広場)のみがそのままに放置されていた。馬場の両側には土手を築き桜が植えられ、やがてここは北陸有数の桜の名所となり「桜馬場」と呼ばれるようになる。
ところが、明治3年(1870)3月に高岡城跡並びに御旅屋、桜馬場を開墾などのために民間へ払い下げるよう命令が出され、最終的に豊饒社(肥料取引会社)社長・鳥山敬二郎[天保13年(1842)生。衆議院議員や高岡市長を歴任]が、この地を社で買い取り、明治23年(1890)に高岡市に寄付した。同35年には条例を定め、公園に指定された。同42年の皇太子(後の大正天皇)行啓を迎えるにあたり整備が行われ、古城公園と連結するため定塚町通りまで突き抜け、両側に桜を植えた。同44年には桜馬場公園保勝会が結成され、高岡市は要望に応えて老樹を保護して木柵をかけ、桜時期には雪洞(ぼんぼり)を設置するなど保勝に力を注ぎ、県内外からの多くの観光客を集めた。
昭和14年(1939)には、富山県が桜馬場公園の桜を県の天然記念物に指定したが、周辺の交通量の増加などで荒廃が進み、同30年(1955)には公園指定が取り消され、現在に至っている。
<参考文献>
・『高岡市史』下巻,1969年
・高岡市『たかおか-歴史との出会い-』1991年
・北日本新聞社『富山大百科事典』下巻,1994年
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